亡夫との別れのあとには、気持ちの整理とは別に、現実の手続きが次々とやってきます。
年金のこと。
健康保険のこと。
ライフラインの契約変更。
本当は、やらなければいけないことがたくさんあります。
わかっています。
でも、なかなか手をつけられずにいました。
心も体も、まだ整ったとは言えません。
それなのに、待ってくれない書類が次々と出てきます。
期限が迫っているものもある。
何なら、もう期限が過ぎているのではないかと思うものまであります。
こういう手続きを始めると、毎日が急にせわしくなって、
悼む気持ちまで薄れてしまうのではないか。
そんな不安があるのです。
実は、これは約30年前に義母の時に経験しました。
暑い真夏、幼い子をベビーカーに乗せて、
毎日毎日、役所をはじめ、あちこちに手続きに出かけていました。
まだインターネットもなく、情報も少なくて、
言われるがままに書類を集め、提出する日々でした。
書類に忙殺される。
それは、心のない活字の世界でした。
その記憶があるからこそ、
今回もつい後回しにしてしまっていたのかもしれません。
それでも、集めた書類に少しずつ記入を始められるようになりました。
そこで、また気がついたことがあります。
たぶん私は、
「ひと」がいない生活には、少しずつ慣れてきたのだと思います。
記憶は少しずつ塗り替えられていく。
つらかった日々も、
介護で負った傷も、
いつかは癒えていくのだと思います。
でも、住民票や戸籍といった書類は違います。
変わらない事実として、
目の前に突きつけられる気がするのです。
死亡診断書は、夫の命が尽きたという事実を記したものです。
それは、少しずつ心に落とし込むことができたからこそ、
私はこうしてブログを書くこともできています。
けれど、住民票や戸籍謄本はまた別です。
書類として、
私は「おひとりさま」になったのだと、
突きつけられてしまう気がするのです。
だから、請求することさえつらいのかもしれません。
それでも、進めなくてはいけません。
心と体が整うのを待っていたい気持ちはあっても、
書類の期限は待ってくれません。
これからの暮らしのために。
働けるようになるために。
その先を考えていくために。
冷たい書類に向き合うことも、
今の私にとっては、暮らしを立て直していくためのひとつなのだと思っています。
